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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)10440号 判決 1963年11月30日

判   決

東京都杉並区阿佐ケ谷五丁目三十七番地

原告

三浦啓義こと

三浦辰次

右訴訟代理人弁護士

三浦久三郎

大阪市東住吉区山坂町一丁目九十九番地

被告

梶敬一郎

同市天王寺区椎寺町六十七番地の一

被告

株式会社天王寺駸々堂

右代表者代表取締役

上田一

右両名訴訟代理人弁護士

松井正道

右当事者間の昭和三十五年(ワ)第一〇、四四〇号損害賠償請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

原告の請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は、「被告らは、各自、原告に対し、金二百九十五万円、および、これに対する昭和三十五年九月三十日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告らの連帯負担とする」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

被告ら訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二  原告の主張

原告訴訟代理人は、請求の原因等として、次のとおり述べた。

一、原告は、次の著作物の著作権者である。すなわち、

(一)  原告は、「受験作文論文詳講」と題する著作物(以下、甲の著作物という)を著作し、株式会社法学書院から、B六判、三百九十二頁、定価金二百二十円として、昭和二十八年四月十五日初版五千部を、昭和三十年九月十五日再版三千部を、それぞれ発行し、昭和三十四年四月末日までに、これを売りつくした。

(二)  原告は、「受験作文の書き方と模範文例集」(再版以後は、「作文の書き方と模範文」と改題)と題する著作物(以下、乙の著作物という)を著作し、株式会社法学書院から、B六判、二百三十頁、定価金百三十円として、昭和三十年十一月三十日、初版三千部を発行し、その後、昭和三十一年十月から昭和三十五年三月までの間に、再版から九版まで計二万一千五百部を発行し、その頃これを売りつくした。

(三)  原告は、甲の著作物の内容を改訂して、「受験作文精講」と題する著作物(以下、丙の著作物という)を著作し、株式会社法学書院から、B六判、二百五十二頁、定価金百四十円として、昭和三十四年五月二十日、第三版として三千部を発行した。

二、被告らは、共同して、前掲各著作物に対する原告の著作権を侵害した。すなわち、

(一)  被告梶敬一郎は、「就職希望者のための受験作文要領」と題する書籍(以下、丁の書籍という)を著わし、被告会社は、これを新書版、百六十八頁、定価金百円として、昭和三十三年六月一日に改訂新版第二版を発行し、以後昭和三十五年八月三十一日までの間に合計九万八千部を発行した。

(二)  被告梶敬一郎は、丁の書籍中に、原告の前掲各著作物の独創的内容の重要にして、かつ、その大部分を占める部分を、別紙偽作部分対照表その一、その二、および、その三のとおり、不法に引用して偽作し、もつて、全体としての甲、乙および丙の各著作物に対する原告の著作権を侵害した。すなわち、

(1) 甲の著作物と丁の書籍とは、別紙偽作部分対照表その一のうち、一、四から七、一一、一二、一五および一七の部分においては趣旨が同一であり、二、一四および一六の部分においては指導内容が同一であり、三および一三の部分においては趣旨および素材構成が同一であり、八の部分においては記載事項および指導内容が同一であり、九の部分においては記載事項が同一であり、一〇の部分においては趣旨および記載事項が同一であり、かつ、その全体を通じて、表現自体も同一または類似である。

(2) 乙の著作物と丁の書籍とは、別紙偽作部分対照表その二のうち、一、三、六、八から一三、一八から二三、二五、二七、二八、三一、三三、三四、三六、三七、四二および四三の部分においては趣旨が同一であり、二、四、一四、一六、一七、二四、二六、二九、三〇、三二、三五および三八から四一の部分においては指導内容が同一であり、五の部分においては趣旨および思想が同一であり、一五の部分においては趣旨および素材構成が同一であり、かつ、その全体を通じて、表現自体も同一または類似である。

(3) 丙の著作物と丁の書籍とは、別紙偽作部分対照表その三のうち、一、二、五、七から九および一二から一四の部分においては趣旨が同一であり、四、六および一〇の部分においては指導内容が同一であり、三、一一および一五の部分においては趣旨および素材構成が同一であり、かつ、その全体を通じて、表現自体も同一または類似である。

(三)  被告らは、丁の書籍が原告の甲、乙および丙の各著作物の偽作であり、丁の書籍を発行することにより、原告の甲、乙および丙の各著作物に対する著作権を侵害するものであることを知り、または知ることができたにかかわらず過失によりこれを知らないで、丁の書籍を発行し、もつて、全体としての甲、乙および丙の各著作物に対する原告の各著作権を侵害した。

三、被告らの右著作権侵害行為により、原告は、金二百九十五万円の得べかりし利益を失い、同額の損害をこうむつた。

(一)  丁の書籍が一部発行されなければ、甲、乙および丙の各著作物がそれぞれ一部だけ多く発行されたはずである。

(二)  原告は、発行者から、甲の著作物一部について定価金二百二十円の一割に当たる金二十二円の印税を、乙の著作物一部について定価金百三十円の一割に当たる金十三円の印税を、丙の著作物一部について定価金百四円の一割に当る金十四円の印税を、それぞれ受けている。

(三)  昭和三十三年六月一日から昭和三十四年五月二十日までの間に、丁の書籍は三万八千部発行されたが、この期間には甲および乙の各著作物が平行して発行されていたから、原告は三万八千部に、甲および乙の各著作物各一部当たりの印税合計金三十五円を乗じて算出した合計金百三十三万円の印税を受けることができたはずである。

(四)  昭和三十四年五月二十一日から昭和三十五年八月三十一日までの間に、丁の書籍は六万部発行されたが、この期間には乙および丙の各著作物が平行して発行されていたから、原告は六万部に、乙および丙の各著作物各一部当たりの印税合計金二十七円を乗じて算出した合計金百六十二万円の印税を受けることができたはずである。

四、よつて、原告は被告らに対し、各自、損害金二百九十五万円、および、これに対する不法行為の後である昭和三十五年九月三十日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

五、被告らの主張五の事実のうち、丁の書籍のはしがきの末尾に被告ら主張のとおりの記載があることは認めるが、その余の事実は否認する。

六、被告らの主張六の事実のうち、丁の書籍の改訂新版の初版発行に際して、原告が定価の三分の謝礼金を被告らから受けとつたことは認めるが、原告は、初版に限り、その発行を被告らに許諾したにすぎない。

七、被告らの主張七の事実は、否認する。もつとも、原告が甲、乙および丙の各著作物を株式会社法学書院に出版させたことは認めるが、そのことにより、原告が甲、乙および丙の各著作物の著作権者として有する損害賠償請求権を失ういわれはない。

第三  被告らの主張

被告ら訴訟代理人は、答弁等として、次のとおり述べた。

一、原告の主張一の事実のうち、原告がその著作にかかる甲、乙および丙の各著作物を、その主張の規格、頁数、定価で、その主張の出版社から、それぞれ発行したことは認めるが、丙の著作物が甲の著作物の改訂版であることは否認し、その余の事実は知らない。

二、原告の主張二の事実のち、被告梶敬一郎が丁の書籍を著わし、被告会社がこれを原告主張の規格、頁数、定価で、その主張の日、に発行したこと、および、甲および乙の各著作物ならびに丁の書籍中に別紙偽作部分対照表その一およびその二のとおりの記載があることは認めるが、被告会社の原告主張の期間における発行部数、被告梶敬一郎が丁の書籍中に原告の甲、乙および丙の各著作物の独創的内容の重要にして、かつ、その大部分を占める部分を、別紙偽作部分対照表その一、その二およびその三のとおり、不法に引用して偽作したこと、および、甲、乙および丙の各著作物と丁の書籍とが原告主張のとおり、趣旨、指導内容、素材構成および記載事項を同じくし、その表現自体も同一または類似であることは否認する。被告会社は、昭和三十三年六月一日から昭和三十四年五月十日までの間、丁の書籍を一万七千七百七十八部発行したにすぎない。

三、原告の主張三の事実のうち、(二)の事実は知らないが、その余の事実は否認する。原告主張のとおり、甲、乙および丙の各著作物が、ほとんど売りつくされたとすれば、原告が損害を受けたものということはできない。

四、なお、(一)丁の書籍中別紙偽作部分対照表記載の部分は甲、乙および丙の各著作物中それに対応する別紙偽作部分対照表記載の部分を不法に引用したものではない。

(1)  著作権による保護の客体は思想自体ではなくその一定の形式による外部的表白(すなわち、著作物)である。思想、考案または指導内容のような精神的内容それ自身は、著作権による保護の対象とはなりえない。学理、学説等が著作権の対象となりうるためには、言語、文字等の表現手段を通じ、外界から具体的に認識可能な一定の形態において、外部的に表白され、客観化されることを要する。このようにして限界づけられ、支配可能となつたものが、著作物である。原告は、丁の書籍の記載内容は甲、乙および丙の各著作物の記載内容から引用したものであるとして、著作権侵害を主張するが、その主張するところは、要するに、論旨、考案、指導内容等の点で、右各著作物と丁の書籍とは、趣旨が同一であるとか指導内容が同一であるというに帰する。したがつて、原告のこの主張は、著作権による保護の客体である著作物自体と、保護の客体とはなりえない精神的内容そのものを混同するものである。

(2)  A著作物中の一部をB著作物中に利用するときは、著作物の一部複製すなわち引用となるが、ここに引用とはB著作物中に用られた章句がA著作物の一部をなす章句と単に同一であることを指すのではなく、B著作物の章句がA著作物の構成部分をなすものと認められるに足りる関係がその章句自体に存在することを要すると解すべきである。したがつて、A著作物中の一部をなす章句と同一ではあるが、その部分自体は日常一般に用いられる普通の章句である場合には、たまたまこれと同一の章句をB著作物中に用いても、これをもつてA著作物の一部引用とすることはできない。しかるに、原告が甲、乙および丙の各著作物中の引用された部分であると主張するところは、いずれも普通一般に使用される章句であり、甲、乙および丙の各著作物の構成部分たる性質を有するものではない。したがつて、原告主張の部分に含まれる章句と同一の章句を丁の書籍中に利用したとしても、引用とはならない。

(二) 甲、乙および丙の各著作物中別紙偽作部分対照表掲記の部分は、著作権による保護の対象とはなりえない。

(1)  思想、考案等の意識内容の具体的表白すなわち著作物でありさえすれば、それがすべて著作権の保護を受けうべきものではなく、その外部的表白に独創性をそなえることが著作権保護の要件である。

甲、乙および丙の各著作物中原告が引用されたと主張する別紙偽作部分対照表掲記の各部分は、いずれも、それ自体として、独創性あるものとは認められない。すなわち、原告主張の部分はいずれも作文指導に関する従来の諸著書に共通してみられる当然の事項であり、作文指導者一般に普通知られているところであるから、それ自体としては、独創性が認められない。したがつて、甲、乙および丙の各著作物中の原告主張の部分は、著作権の保護を受けえない。

(2)  ある言語的(文字的)表現が著作権の保護の対象である著作物となりうるには、まとまりのある思想が一定の表現形式に整序されていることを必要とする。いいかえれば、独立して出版その他の方法による複製利用が社会経済上可能である程度に熟した体裁を備えていることを必要とする。しかるに、

甲、乙および丙の各著作物中の原告主張の部分は、社会経済上、到底、独立的利用にたえうる文章でないことは明らかである。したがつて、原告主張の部分は、それ自体、独立して著作権保護の対象となりえないものである。

五、仮りに、丁の書籍の記載内容が甲、乙および丙の各著作物の記載内容から引用したものであるとしても、この記載は、正当の範囲内において、右各著作物を節録引用し、かつ、その出所を明示してしたものである。すなわち、原告は、丁の書籍のはしがきの末尾に「本書編集に当つては、各種の文献を参考引用させて頂いたが、特に法学書院発行の『作文の書き方と模範文』の著者三浦辰次先生からは、直接、間接に一方ならぬ御示教を仰いだ。ここに三浦先生を始め諸先生方に深甚の謝意を表したい」と記載し、引用の出所を明示した(著作権法第三十条)。

六、仮に、そうでないとしても、原告は、丁の書籍の発行について、被告らに許諾を与えたものであるから、丁の書籍の記載内容が、甲、乙および丙の各著作物の記載内容から引用したものであるとしても、被告らが著作権侵害の責を負うべきいわれはない。すなわち、被告らが丁の書籍の改訂新版の初版を発行するに際し、原告は、定価の三分の謝礼金を被告らから受けとつて発行を許諾するとともに、再版以降についても、原告の具体的指摘があれば、その個所を改稿する条件で、その発行を許諾した。しかるに、原告はなんら具体的に改稿個所を指摘しなかつたので、被告らは丁の書籍の改訂新版の初版と同一内容のものを再版以降発行したものであり、被告らは、丁の書籍の発行について、原告の許諾を得たのであるから、丁の書籍の記載内容が甲、乙および丙の各著作物の記載内容から引用したものであるとしても、被告らは著作権侵害の責を負うべきものではない。

七、仮に、以上の主張がすべて理由がないとしても、原告は、甲、乙および丙の各著作物について、株式会社法学書院に出版権を設定したのであるから、原告は、甲、乙および丙の各著作物の著作権者として、これらの著作物を出版する機能を有しない。したがつて、原告に出版権のあることを前提とする本訴請求は、失当である。

第四  証拠関係≪省略≫

理由

(当事者間に争いのない事実)

一、原告が、甲乙および丙の各著作物を著作し、これを株式会社法学書院から発行したこと、被告梶敬一郎が丁の書籍を著わし、被告会社がこれを昭和三十三年六月一日発行したこと、および甲および乙の各著作物ならびに丁の書籍中に別紙偽作部分対照表その一およびその二のとおりの記載があることは、いずれも当事者間に争いがない。

(丁の書籍中の原告主張の部分が原告の著作物の引用であるかどうかについて)

二、前掲偽作部分対照表の記載に、成立に争いのない甲第一号証の二、三、同第二号証の一、二および同第四号証をあわせ考えれば、甲、乙および丙の各著作物ならびに丁の書籍は、いずれも就職用受験作文についての知識、その特質、近来の出題例、および、その傾向等を具体的に加味した対策と研究を主題としたところの、受験者用参考書であり、対象となる読者、著作の目的ないし性格において、ほとんど同一であること、および、甲の著作物と丁の書籍とは、前掲対照表その一記載の各部分において、乙の著作物と丁の書籍とは、前掲対照表その二記載の各部分において、それぞれ、その趣旨とするところをほぼ等しくし、なかでも、乙の著作物と丁の書籍とは、その九、一〇、一二、一九、二一から二三、二六、二七、二九から三三、三五から三三、三五から三八、および四〇から四三の部分における文題において、同一または類似であり、また、丙の著作物と丁の書籍とは、前掲対照表その三記載の各部分において、同じく、その趣旨とするところをほぼ等しくしていること、また、丁の書籍中の原告主張の各部分と甲、乙および丙の各著作物の原告主張の各部分とは、その表現において、類似の部分全くなしとはしないが、同一の部分はなく、量においても相当の差異があることを認めることができる。

しかして、この種受験者用参考書においては、著作者独自の見解や表現を試みるより、すでに認められている所説解釈に従い文題も実際に出題された公知の例から選択するのが普通であるばかりでなく、世上類書も少なくない関係もあり、ともすれば、部分的には趣旨、記述の仕方および文題等に類似性が表われるのは、むしろ通例であるから、仮に甲、乙および丙の各著作物中の原告主張の各部分が、原告主張のように、著作権による保護の対象となりうるものであるとしても、前認定のとおり、その趣旨とするところをほぼ等しくし、あるいは、文題または表現において前記程度の同一または類似の部分があるからとしても他に特段の事情の認むべきもののない本件においては、それだけで、直ちに丁の書籍中の原告主張の各部分が甲、乙および丙の各著作物中のそれに対応する各部分を引用したものであると断定することはできない。

なお、甲第五号証(示談書と題する書面。乙第七号証と同じ)には丁の書籍が甲および乙の各著作物の内容を引用したものであることを被告会社において認める旨の記載があるが、その趣旨とするところは、その文言および前記事実に徴すれば、丁の書籍が、甲、乙および丙の各著作物中に盛られた思想内容を利用したことを被告会社において認めるという点にあるものと解せられるから、仮にこの記載が関係者の正確な認識と理解を基礎とするものであつたとしても、それは、被告会社(関係者)の判断を示すにとどまり、この記載をもつて、丁の書籍が、甲、乙および丙の各著作物を引用したものと認定することはできない。

(むすび)

三、以上のとおり、丁の書籍中原告主張の部分が甲、乙および丙の著作物中の各対応部分を引用したものであるということはできないから、その不法引用による偽作であることを前提とする原告の本訴請求は、進んで、他の点について判断をもちいるまでもなく、いずれも理由がないものといわざるをえない。よつて原告の請求は、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二十九部

裁判長裁判官 三 宅 正 雄

裁判官 白 川 芳 澄

裁判官 佐久間 重 吉

別紙

偽作部分対照表甲の著作物(受験作文論文詳講)

一① 受験作文または論文はわれわれの日常書くところの作文及び論文と、どのように相違しているであろうか。受験作文や論文は、特殊の意図を以つて課される。したがつて受験作文或いは論文は特殊の条件に服従せねばならぬ。(二、三頁)

② われわれの研究は、まずこの受験作文論文のもつこのような特殊性の理解からはじめねばならない。(三頁)

二① およそ、優秀な適材を採用するためには受験者その人の環境、性格、思想教養等について知らねばならぬしつまり、これが各種試験に作文の課せられる本来の目的である。

② ビユツフオンは「文は人なり」といつた。まことに文章ほど人の性格を如実に表わすものはない。(四頁)

③ 受験作文論文は自己の文芸的才能を誇示する舞台ではなく、健全な社会人としての自己の思想を、そのままに写し出すべき映写幕であると心得えられたい。(一八頁)(三―一七省略)

その二

乙の著作物(受験作文の書き方と模範文例集)

一① 受験作文というものが、一般普通の作文と全く性質を異にすることは、いまさら説明するまでもあるまいと思う。受験作文にはいろいろの制約がある。いま限られた時間、選択の自由のない課題という二つの条件を取り上げてみても、想のわくままに自由な気持で筆をとる文章とはよほど異なつたものであることは容易に理解できよう。(七頁)

② 受験作文で必勝を期する人は、まず、このような諸条件と諸制約を理解し、有効適切な対策を樹立しなくてはならない(八頁)

二① 受験作文は特殊の目的をもつている。

(一) 文章表現力の考査受験作文のためには、だから単に内容が正確で文法的に誤りのない文章というにとどまらず、自由で、ゆたかな表現力が要求されるのである。

(二) 一般的学力教養の評価 文章は、われわれの学力や教養を如実に反映するものである。ここに着眼して試験官は作文を通じて受験者の教養の程度を知ろうとするのである。

(三) 性格環境の調査『文は人なり』が真であるならば、文章はわれわれの性格、環境を示すものでなくてはならず、これがまた試験官のねらうところとなる。就職試験では、特にこの目的に適するような文題を用意して受験者の性格、環境を調べようとすることが多い。、、。

このような文題では、自分自身自己の周囲、または人生社会に対する見方が問題にされる(九、一〇頁)

② 出題意図を考えよ 文題の語義とは別個に、それがどのような動機または目的によつて出題されたかを考えてみることも大切だ。(四三頁)

その三

丙の著作物(受験作文精講)

一① 受験作文には特殊の条件と制約がある。受験作文を学ぼうとする人々は、まずその特殊性を理解することからはじめねばならない。(七頁)

② 受験作文の特殊性とは何か。受験作文では、一般作文のそなえるべき諸条件とは別に、試験ということから当然に発生する諸種の制約があつて、いわゆる「受験作文」というものの独自の性格を形づくつている。(八頁)

二① 「文は人なり」という言葉は、単に教養を意味するばかりでなく、われわれの全人格の代弁者という意味である。文章はまさしく雄弁な自己紹介者となる。受験作文が、しばしば人物考査の手段に供せられるということは注意すべき点であろう。(八、九頁)

② 受験作文が人物考査的要素をもつことは、すでに読者が理解されたところであるが、この点が実は文芸的文章と受験作文との、もつとも大切なちがいである。(一七頁)

③ その人間的苦悩がどのように深く、そしてどのように浄化されていたとしても、合格圏からははるかに遠いものといわねばならぬ。だから、あたえられた文題は、……それを道徳的に考えなくてはならぬ。これが受験作文を書くにあたつてのもつとも大切な心構えである。

④ 欠点短所はどう扱つたらよいか

たとえば、「私の家庭について書くとき、自分の家庭に、ある種の欠陥があつたり、「自己を語る」で、自分の短所、欠点を思い浮かべたときなど。真実を書け。(一八、一九頁)(三―一五省略)

その一

丁の書籍(就職希望者のための受験作文要領)

一① われわれが日常書くところの創作、論説、随筆などの文章は、……題材、内容、表現についての制約はもとより、時間的場所な制限も何一つない。しかし特殊な目的にもとづいて課せられる受験作文では、一般普通の文章とかなり性質が違つていて、いろいろな制限がまつわりつき一定の条件に適わなければ、答案として全然無価値なものとなる。そこで、

② まずわれわれは、就職試験としての作文がもつ条件と制約とについて、はつきりした知識を持ち基本的な心構えを確立しておかねばならない(五頁)

二① 一つの文章を通して、教養の程度、物の見方、考え方、家庭の状況、人となりを明らかにうかがうことができるのであるから、採用試験において作文は面接試験と同様、きわめて重要視されるのである。

② 古来「文は人なり」と言われ「ことばは魂のひびきである」と謳つた詩人もあるように、文章ほどその人柄を如実に表わすものはない。(三頁)

③ 受験作文は芸術的作品ではない。すなわち、文芸としての価値如何を問うものではない。あくまでも、社会ないし職場の一員として必要な素質を持つているか、信頼して仕事を托し得る誠実な人物であるかを、判定する資料として取扱われるものなのである。だからその内容は健全なる生活者であること、良識に富んだ社会性のある人間であることを表明し得るものでなくてはならない。(七頁)

丁の書籍(就職希望者のための受験作文要領)

一① 特殊な目的にもとづいて課せられる受験作文では、一般普通の文章とかなり性質が違つていて、いろいろな制約がまつわりつき、一定の条件に適わなければ、答案として全然無価値なものとなる。

② そこでまず、われわれは、就職試験としての作文のもつ条件と制約とについて、はつきりした知識を持ち、基本的な心構えを確立しておかねばならない(五頁)

二① 作文試験の目的

作文では個々の知識の深さや特殊な能力は察知することが出来ないにしても、字句、文体、叙述ぶりから言語能力ないしは表現力、構成力を見ることができる。(二頁)

古来『文は人なりと言われ文章ほどその人柄を如実に表わすものはない。一つの文章を通して、教養の程度、物の見方、考え方、家庭の状況、人となりを明らかにうかがうことが出来る(三頁)

② そのような一般目的とは別に受験生のどういう点を特に観察するか、採点に当つては何に着眼点をおくかという、出題の意図ないしは特定の目的というものが、各課題それぞれにあるわけである。(四三頁)

丁の書籍(就職希望者のための受験作文要領)

一① まずわれわれは、就職試験としての作文がもつ条件と制約とについて、はつきりした知識を持ち基本的な心構えを確立しておかねばならない。

② 特殊な目的にもとづいて課せられる受験作文では、一般普通の文章とかなり性質が違つていて、いろいろな制約がまつわりつき、一定の条件に適わなければ、答案として全然無価値なものとなる。(五頁)

二① 古来「文は人なり」と言われ「ことばは魂のひびきである」と謳つた詩人もあるように、文章ほどその人柄を如実に表わすものはない。一つの文章を通して、教養の程度、物の見方・考え方・家庭の状況・人となりを明らかにうかがうことが出来るのであるから、採用試験において作文は、面接試験と同様、きわめて重要視されるのである。(三頁)

② 受験作文は芸術的作品ではない。すなわち、文芸としての価値如何を問うものではない。あくまでも、社会ないし職場の一員として必要な素質を持つているか、信頼して仕事を托し得る誠実な人物であるかを、判定する資料として取扱われるものなのである。(七頁)

③ だからその内容は、健全なる生活者であること、良識に富んだ社会性のある人間であることを表明し得るものでなくてはならない。(八頁)

④ 貧困な家庭、複雑な家庭など語るのはつらいものであるが、受験作文では、どのような事情であつても真実を語ることにためらいがあつてはならない。(八七頁)

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